人は、何度となく夢を見る。
それは、嘘でも幻でもなく生きるために必要な「心の物語」ではないだろうか。
ときに眠りから覚めようとするふたしかな意識のなかに、その日を生きるための夢をみてゆっくり再生し覚醒とともに全てを忘れてしまう。
人は、誰もが寿命がつきるまでのわずかなときをこのような瞬間を繰り返しながら過ごすのだろうか。
人は、悲しみも喜びも感じることのない死の世界へといずれ旅立つことになる。
いや、死により新たな理想の世界へ旅立つと信じるものもあるのだろう。
どちらにしても、人は誰でも生きているうちに、誰かに何かを語りたい、伝えたい、と感じることがあるのではなかろうか。自らがそこに存在した証として、・・・
私は司法書士業をながく続けるうちに他人の悲しみや喜びを自らの内なるものと感じ、いつしか体験したように錯覚しだしている。
この疑似体験は守秘義務があり自らの意識の中にすべてを閉じ込めるために生じるとは限らない。
私は、知らず知らずのうちに自らの意識を無意識と変え、その悲しみや喜びの全てを必要とならぬ限り忘れた状態で存在させる能力を身につけてきたような気がする。
それでも、潜在意識は疲れ果て意識を失うように眠りについても、翌日には再生のため何らかの「心にのこる物語」を作り出していくのである。
そのような「心にのこる物語」がいずれ意識から完全に消えぬうちに記録したいとの誘惑を感じだしてから、ずんぶんなときが過ぎ、また、決して消えない私自身の幼い日の「心にのこる物語」を誰かに伝えたいとの誘惑を感じだしてからも、ずいぶんなときが経過したように思う。
そこで、あくまでフィクションとして、自らの心が再生するたびに生まれでる「心にのこる物語」をここに徒然なるまま記していく。
あくまで、物語はすべてがフィクションであるが、この物語の存在を確かなものとするため、ときに関連(派生)する自らの好みの情報も記載できれば、素敵だなと思っている。
また、多くの人がこのような試みに興味をいだき、自らの「心にのこる物語」を語ってくれるとすれば、どんなに楽しいだろう。
なお、本サイトは営利を目的としたものではなく、気が向けば何らかの物語が記述される程度のものである。